【小説】2032年、未来の話
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【小説】2032年、未来の話

プレスラボ Magazine

あけましておめでとうございます。プレスラボの山本(@yamamoto_rie
)です。毎年恒例の年賀エッセイ、今年のテーマは「2032年」です。「今年は小説でもいいんじゃない?」という案が出まして、小説を書かせてもらいました。皆さんの、新年の暇つぶしの一助になれたらうれしいです。相変わらずコンテンツ愛が強く、どこまでも自由なプレスラボを、今年もどうぞよろしくお願いします。

 進学のために上京した。沼袋にある大学に通いやすいようにと、江古田に部屋を借りた(親が)。江古田は脱力しきった街だった。東京なのに地上鉄道が走っていて、古びているが機能している商店街が四方に広がっていた。

 駅前にはバブルの遺産のようなパブがあった。駅から数分歩いただけで、街灯の数が極端に少なくなった。なんなら地元の方が明るかった。東京に住むんだぜ、と地元の友達に息巻いて上京した俺は、帰省して「東京のどの辺に住んでるの?」と聞かれるたび「池袋の辺りだけど、住んでないと分かんないかも」と濁した。

 慣れてしまうと江古田はいい街だった。学生が多いということは、安くて量の多い定食屋が集まりやすいことでもある。好々亭の750円生姜焼き定食にすっかり慣れていた俺は、大学3年のころ彼女になりかけた女の子と行った新宿ルミネで1500円のランチを見て「これが本当の東京か」と愕然とした。ちなみにその子とは、その夜から音信不通になっている。

 そんな俺も社会人になった。社会人になっても江古田に住み続けたのは、単に家賃が安いだけが理由じゃない。腑抜けたこの街が、しっくり来るようになってしまったのだ。上京したての頃は「冴えない駅」としか思えなかった江古田駅も、仕事帰りに見るとホッとした。

 後輩と飲んで泥酔した翌朝、家の玄関に靴がなかったことがある。靴は、江古田駅で保管されていた。聞けば、電車を降りたホームで脱いで、そのまま靴下で家まで帰ったらしい。潜在意識では、どうやら江古田駅以下、街全体を「俺ん家」と認識しているらしかった。

 その日のことはよく覚えている。江古田駅で一晩寝かせた冷たい靴をそれぞれの手で持ち、昼下がりの江古田の街をサンダル姿で歩いた。千川通りの信号を待っていると、破れた靴下から親指が飛び出しているのが見えた。しかし、ここは江古田である。そんなヤツが歩いていても問題ない寛容さがあった。酒が抜けてないことが、マスクの中に吐く息で分かった。自分の息に顔をしかめていると、「ねぇ、どういう状態なの?」と声がした。

 振り返ると、江古田の街を背景にしてその人が立っていた。その人とは、高校が一緒だった。何かの折に友達伝いで「あの子も上京するらしいよ」と聞いてはいたけど、別に仲良いわけでもないし、と思っていた、ただのクラスメイト。

 流れで行った好々亭で、高校を卒業してから互いに江古田に住んでいたことを知った。ずっと顔を合わせることがないまま、この狭い街で暮らしていたのだ。江古田っていいよね、という話で盛り上がった。分かる分かる、めっちゃ分かる俺、と意気投合して、この子なんかいいなと思ったその日から、10年も同じ人を好きでいてしまった。

 10年前、その人は江古田の街で偶然再会した「地元の知人」だった。しばらくして、その人はアテもないクセに会社を辞めた。そうして江古田で1日中暇してる「ヤバい友達」になり、海外に住む変わった「知人」になり、久しぶりに江古田に帰ってきて生活に困っている「なんかほっとけない奴」になり、起業して成功した「友達」になった。その間、友達と知り合いの間を行ったり来たりしたけど、恋人と友達の間を行き来することは一度もなかった。ちなみに、その人は俺の好意を知っている。控えめに言って最悪だ。

 純潔すぎるこの片思いが続いてしまっている理由は、テクノロジーの進歩による弊害だと俺は主張した。「なるほどね」。その人は頬杖をつくような姿勢でニヤニヤしながら促した。「今はさ、物理的に距離あってもこうやって会えるじゃん。そしたら思い出として風化されないと思うんだよね。昔はさ、情緒があったよね。会えない距離のせいで別れたり諦めたりできたよね」。その人は笑いながら[アイテム単価=100メタコイン]と表示された赤いソファーに体を投げ出した。

「このご時世にリアルで約束して会うって、『私たち恋人だよね』って確認してるようなもんだよね」

 リフレインした右半身は、一瞬ブレてすぐに戻った。メタバースの世界はいつも昼のように明るい。俺のソファーは無課金だ。ソファーというより幅の広い椅子である。「Zoom使ってた頃が懐かしいよ、今はこんな、目の前にいる感じだし」。アイテム課金の有無まで丸わかりだし。その人は、「Zoomってなんだったっけ」と言った。その人は、今はまた海外に住んでいる。俺の話を受け流すように「住む場所を自由に選べるのがいいところだよね」と話した。

 住む場所を自由に選べるようになった結果、世界規模で過疎化は進んだ。10年前より良くなったこともあるけど、新たに生じた問題も山積みだ。会えない距離は消失した。何か違う、の感覚は次第に薄れ、リアルさを求めることもなくなった。むしろ若い人たちの間では、「リアルで会うのが怖い」なんて人もいるらしい。難しいことはよく分からないけど、俺は恋を終えられないことに困っている。

  俺は相変わらず江古田に住んでいる。その人は、「恋を終えられないのは困ったね」と他人事のように言った。「そういえば来週、江古田に帰ろうと思って」そして一息ついて言った。

「リアルで会おうよ」

 俺がびっくりして立ち上がると、メタバースの世界の俺も立ち上がった。「まじで?」と、俺たちの声が重なった。新たな問題は山積みだ。しかし、いつだって未来は明るい。

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