「てにをは」を意識すると、眼差しが整い、生き方が変わってきた
こんにちは。プレスラボ代表の池田園子(@sonoko0511)です。
先日、新規サービスに関する記事を書きました。
それを読んでくれた、私の仕事仲間であり、友人のクリエイター兎村彩野さんから、ある日メールが来たんです。
私は兎村さんから依頼を受けて、彼女が執筆した文章を添削(赤入れ・コメント入れ)し、文章をアップデートする「言葉のコーチ」役を担当してきました。
そんなご縁もあって、言葉や文章について、おしゃべりしましょう、という流れに。その模様を対談コンテンツ化したのが下記です。
今日は対談の続きをお届けします。
「てにをは」で人生が変わった
兎村(以下、う):私、池田さんに言葉のコーチに付いてもらってから、いろいろな学びがあるんですが、特に印象的なのが「前と後ろの話を入れ替える」方法なんですよね。
池田(以下、い):おっ。例えば、どういう文章でしょうか?
う:ひとつの文章が長くなるのが、私のよくない癖なんですよね。
「家事が得意で、料理上手で、無口で優しいウサギは小さくまるいフォルムの詳細不明のウサギです」
この文章は長くて読みにくいのと、ふたつの内容が繋がって混ざっているのとで、読者の方が混乱しやすいです。
「小さくまるいフォルムの詳細不明のウサギです」「その子は家事が得意で、料理上手で、無口で優しい性格」
池田さんはこのようにひとつの文章を内容で区切り、わかりやすくしてくれます。
区切ってから、さらに「前と後ろの話を入れ替える」ことで、言葉が映像的になる感じがします。私はこの添削が好きです。
い:ああ、確かに、ときどき調整を入れていましたね。
う:前後をひっくり返すことで、文章がわかりやすくなるだけではなく、映画の脚本のように、映像的な面白さが生まれると知りました。同じ風景でも、何を先に語かで印象が変わる。並列の要素がふたつあるとき、どちらを前に持ってくるといいか、最近では落ち着いて考えられるようになったし、10回中3回は自分で書いた文章を、自力でひっくり返せるようになりました。池田さんに文章を見てもらう前に読み返して、「あ、ここは前後逆にした方がいいな」って気づくんです。
い:私が調整を入れる回数が少なくなりました。それは本当。うささん(兎村さんの呼び名)がご自分のものにされたのだと思います。
う:文章を添削してもらうことで、言葉を組み立てるセンスが磨かれたと感じています。組み立て方の順番が綺麗だと、自分が思っているような形で伝わります。そのことに気づいたのは、「てにをは」の正しい使い方を身につけてからだと思います。
い:「てにをは」ですか。
う:文章を直してもらう中で、特に大きく変わったのは「てにをは」の感覚だと思います。思い込みごと壊れました。
い:「てにをは」は言い換えると助詞ですよね。助詞選びって、かなり重要なんですよね。たとえば、ある文章で「が」を使うか「は」を使うか、「に」を使うか「へ」を使うかで、読む人が受ける印象は大きく変わるわけで。
う:そうそう。「私が食べます」「私は食べます」「私も食べます」は全然違う。「てにをは」は、言葉の持つ空気の半径を50cmくらい書き換えてくれるし、風景も一緒に描くことができるんですよね。「てにをは」の使い方が正しくなったおかげで、文章の全体像もクリアに見えるようになったと思います。
い:そんなに大きな変化があったんですね。
う:はい。「てにをは」で人生変わったと言っても言い過ぎじゃないくらい。適切な使い方をマスターしたら、以前の状態にはもう戻らないと思います。
文章には「生き方」が浮かび上がる
い:私はうささんの文章をいかに読みやすくするかという意識で、「てにをは」に調整を加えていました。裏側でそんな変化が起きていたなんて驚きです。
う:さっき「『てにをは』は、風景も一緒に描くことができる」と言いました。言葉を伝えるとは、風景を切り取ることだとも思っています。
い:風景もですし、物事をどう見ているか、が文章には出ますよね。
う:そうなんです。リアルな眼差しが浮かび上がるのが言葉ですよね。例えば、対象を見下していたら、上から目線な文章になるし、卑屈な感情を持っていたら、媚びるような文章になります。
い:良くも悪くも、その人自身が現れる——。文章はその人の分身です。
う:私は「てにをは」に意識を配るようになって、自分が世界をどんなふうに見ているか、偏った眼差しを持っていないか、という視点を持つようになりました。同時に、自分が紡ぐ言葉に対する責任感も高まったと思います。
い:「言葉×責任」の話をすると、私のような編集者・ライターは、この表現を見て傷つく人はいないか、不快な気持ちになる人はいないか、といった部分に心を砕きます。
う:まさに。この言葉、何か別の言葉に置き換えられるかなとか、言葉選びに慎重になります。その結果、考え方や感じ方……生き方そのものが変わるんです。
い:言葉そのものに対して、自覚的になるんだろうな、と思いました。
う:「てにをは」の精度が上がると、より正確に描写できるようになるんですね。「てにをは」を正しく使おうとすると、自分の中に曖昧にしていた部分を、そのままにはできなくなります。的確な言葉をなんとか選び出して、明確に描こうとするんです。
い:心の中で「書きたい」と思っている内容と、実際に表現したもののズレが少なくなりそうですよね。
う:日頃から「意味のある言葉」を使うようになりました。意味のない言葉を使って、原稿や記事のスペースを埋めても、結局、何も言ったことにならない。それなら、表現しない方がいいなって。だから、誰かに何か思いを伝えるときは、意味を持った言葉を正しく使おうと、以前よりはっきりと強く思うようになりました。
企業に所属していて、“外”の人に伝えたい文章を書くなら、言葉のコーチをつけるのがおすすめです。きっとコーチとのやりとりで、自分の眼差しがクリアになっていきます。クリアな眼差しが、伝えたい事を明確にしてくれます。
言葉のコーチをつけたら「事故」が減ると思う
い:例えば、SNS運用やニュースレター執筆を担当する方などですかね。
う:まさにそうですね。企業の公式SNS運用担当者さんから話を聞くと、多くが業務を少人数(場合によってはひとりだったりする)で担当しています。大きなプレッシャーと責任を個人が背負っていることが多いです。
い:投稿内容をチームでWチェックする体制の企業もあるとは思いますが、基本的におひとりでというケースも多いと聞きます。
う:ブランドや商品を外向けに伝える文章を書くのは、決して簡単なことではないと思います。それをひとりの担当者に任せているのは、経営としても危なっかしいなぁと感じることが何度かありました。任せられた方はピリピリしながら運用していることもあり、せめて言葉のコーチのような相談相手がいたらよいのではと思っていました。
い:「この表現大丈夫かな?」と不安な箇所について相談にのってくれたり、文章を見てくれたりする相手がいたら、安心感が増しますよね。
う:言葉の緊張感を緩和するケアをするためにも、文章を書く仕事を任せるときは、添削してくれる人と組むのがベターだと思います。私と池田さんみたいな関係性ですね。信頼関係のできたコーチがいると、言葉を安心して使えるようになるなぁと感じています。
い:そういった現場の担当者さん以外にも、言葉のコーチをつけるといいのでは、と思う人はいますか?
う:経営をされている方でしょうか。自分が理想とする経営像がある人ほど、言葉のコーチから指導を受けると、効果があるのではと思っています。文章からは会社や社員、製品、ユーザーをどう見ているかが浮かび上がります。「注意されにくい立場」になった人ほど、コーチは重要ですよね。意識的に注意をしてもらえる環境を作る、添削を受けて直す作業の中で、本当にたくさんの気づきを得られます。
言葉が綺麗になることだけではなく、自分が会社をどう見ているか、社員をどう大事にしているか、自社の製品をどれだけ知っているか、経営の風景がかわるのではないでしょうか。それくらい「言葉」は自分の中の眼差しを調えてくれます。
い:今、あらゆる人がSNSやnote、ブログなどで自由に発信していますが、言葉の使い方を習ってきたわけじゃない。だから、言葉で人を傷つけることも多々あります。
う:たとえ話ですが、「言葉」という「車」があるとします。車に乗って公道を走るには免許が必要ですよね? でも「言葉」には免許がありません。言葉という車に乗って、社会という公道を走るのには免許が不要。教習所で運転を習ったわけではないので、至るところで事故が起きているように私には感じます。
い:炎上とか、喧嘩とか……。
う:車(言葉)はとても便利な道具だし、人間の素晴らしい発明品です。遠くへ行けるし、一緒に誰かと旅へ出れば素敵な思い出が作れる。上手な運転は一緒にいる人たちも心地よく乗れる。その反面、車は運転を間違うと事故を起こして、世界に悲しいことを増やしてしまう。だから、いろいろな人たちが議論をしてルールを作り、この社会では車を運転するためにまず教習所へ通うようになったのだと思います。
教官が助手席に乗って「車の安全な乗り方」を教えてくれる自動車教習所。言葉のコーチは「言葉の教習所」の教官です。言葉のコーチに併走してもらうと運転がだんだん上手くなって、事故が起きる確率を下げることができると思うんです。
い:言葉の教習所ってしっくりきますね。言葉のコーチとして世の中で役に立ちたいです。
う:言葉を使う人が変われば、周りの人も言葉の使い方が変わっていく。小さなことですが、その繰り返しを経て、よりよい社会になっていくのではと。私はというと、最近やっとスムーズに走れるようになったくらいですが、周りのクルマを見る余裕が出てきました(笑)。「言葉のドライブって楽しいな」と感じることが少しずつ増えてきました。とはいえ、いつまでも初心忘れず、油断禁物ですが。
い:余裕、文章からも感じますよ。3年前とはまったく違いますもん。今日は気づきが多い対談をありがとうございました!
(完)
スマホ・PC画面の写真/兎村彩野