見出し画像

私の悪い心と本当に頭がいい人

頭のいい人になりたい。

勉強ができるとか、窮地に立たされたときにうまいこと言えるとかそういうのじゃなく、根本的に、本質的に頭がよくなりたいのだ。本当に頭がいい人を考えたとき、頭に浮かぶのはTだ。

大学時代に居酒屋アルバイトで知り合ったTは、大阪で一番難しい大学に通っていた。私が電卓を使っても間違える計算を暗算でやっていて、だけどそれを鼻にかけたところがなく、気さくで、ギャグセンが高くおもしろかった。

同じバイト先の友人が、ひと足先に就職した。就職先はアメリカのディズニーランドで、「遊びにおいでよ」と誘ってくれた。予約の手配は全てTがやってくれ、その総額は嘘みたいに安かった。Tの家へ遊びに行ったとき、パソコン上で現地の航空会社と英語でやりとりしていた形跡を見かけたけど、あれが何だったのかは今でもわからない。旅行までの数カ月は、Tに連れられ守口の電池工場でアルバイトをした。ここで数カ月働けば自ずと旅費が稼げるらしく、私は何も考えていない頭で電池を右から左へ検品し、数カ月後にはTが言った通り旅費ぴったりのお金が口座に振り込まれた。

そのお金で最初にやってきたのがワシントンだった。確か乗り継ぎの中継地だったのだと思う。何度も説明しただろうに「ここで泊まるんやっけ」「ワシントンって西側?」みたいな私に呆れるでもなく、Tは一つひとつ丁寧に「違う」と答えてくれた。「ここってアメリカのどの辺なんやろな」と言ったとき、Tは空港の目の前に広がる雪の降り積もった林を見ながらこう言ったのだ。

「針葉樹やから、白地図で色塗ったあの辺りちゃうかな」

びっくりした。学校の勉強が、こんなに暮らしに紐づいている人を初めて見た。針葉樹、白地図という、遠い昔に聞いた言葉が私に押し寄せ、雪を纏った林が「亜寒帯の針葉樹」という輪郭を見せ、今までの景色がまるきり変わった気がしたのと同時に、心の深いところで私はTを好きだと思った。

その後、Tと私は東京で就職し、一時は私の部屋で同居していた。理由は忘れたけど、Tのマンションの更新と海外に移動するタイミングが合わなかったとか、海外で勉強するためのお金を貯めていたとか、そんな理由だったような気がするし全然違う気もする。正直ちゃんと覚えていないけど、バイトをやめて就職してからも一緒にいた。それなのに三十代になってからは、お互いに忙しくて会わなくなった。ワシントン空港で見た針葉樹、電池工場を終えた後に居酒屋バイトに入った若さだけで生きていたあの日々、一緒に暮らしていたときにTが優しさで買ってくれたハーゲンダッツ、その狂おしいほど懐かしい全てが二度と戻らない当たり前の中にある。今ここにある生活はかけがえのないものだけど、生活に向き合うほど、Tとの美しい過去が埋没していくことはどうしようもなく泣きたくなることだ。

そんなある日、同じ居酒屋バイトをしていた別の友人Aが東京に遊びに来た。残念ながらTはたまたま海外にいて、Aは「会ったときにTに渡して」と、私のものとは別に用意した手土産を託した。中をのぞくと、お菓子やスープが入っていた。

ところで、数年前にオフィスを撤廃したプレスラボには出勤の概念がない。毎日家で仕事しているのだ。すぐにベッドに寝そべりそうになる自分を律するため、私はいつも集中力が切れたときにお菓子を食べている。ある難しい原稿に取り組んでいるとき、Tに渡してくれと渡された紙袋が目に入った。

ほんの出来心というより仕方ない。のぞいた瞬間、もう食べようと思った。食べようと思った瞬間、もう食べていた。やってしまったと思ったけど、どこかで「一つぐらいバレない」とも思っていた。賞味期限が近かったし、多分次に会うときまでもたないんじゃないか。チョコレート菓子が今年の酷暑を乗り切ることは難しいんじゃないか。生活に埋没した私から合理的で小賢しい言い訳はいくらでも出た。それに、たった一つしか食べてない。しかし一度瓦解した良識はもう戻らず、そこからは毎日「今日はスープいっとくか」「他に何があったかな」と漁るようになった。

そんなある日、Tと、時間ができたから飲みに行こうということになった。「Aから、莉会ちゃんに何か預けたって聞いたけど」と言っていて、初めて自分のしでかしたことを思い出した。大好きなTに人間性を疑われると蒼白になり、近所の店に駆け込んで「Aの地元っぽいもの」を数点買い漁った。なんで食べてしまったんだろうと思ったけど、しょうがなかったという諦めもあった。ただ、Tのことを思いながらAがお土産を選ぶ姿を思い浮かべ、罪悪感で胸が切なくなったりはした。

「隠蔽工作を図った山本莉会によるお土産セット」が完成し、Tと会う日、忘れないように玄関に置いた。約束までかなり余裕があったけど、気づいたら待ち合わせの時間になっていた。家を飛び出し、高円寺に向かっているときに思い出した。手土産を持っていない。

もう、どうとでもなってしまえと思った。Tに会って、全てを洗いざらい告白した。預かったときから正直嫌な予感がしていたこと。良心の呵責もないまま貪り食べてしまったこと。そして嫌われるのが怖くて、近所で似たようなものを買ったこと。それを丸ごと家に忘れてきたこと。Tは「莉会ちゃん」と言った。

「ええんやで」

そのときの何もかもを許す菩薩みたいな顔は、ずっと昔から知っているTだった。本当に頭がいいからこそ、私に何を言ってもしょうがないとわかっているのだろうなと思った。ちなみにその日、高円寺ではほとんど奢ってくれた。書かれている言葉が一つも理解できないと泣きついた私と一緒に、NISAやiDeCoの手続きを数時間かけてやってくれたこともある。何でそこまでしてくれるのかを聞いたとき、Tは「恩があるから」と言っていた。同居していた頃、私が家賃を受け取らなかったからなのだという。本当はたった数カ月の同居でいちいちお金の話を取り決めるのが面倒くさかったからなのだけど、Tはそれでも、と言った。Tはいつでも謙虚で、誰かからの恩を忘れたりしない。私がたとえ、勝手にお土産を食べるようなやつであってもだ。あの時のありがたい気持ちを忘れていないと、どんな数式も忘れない頭脳を持ったTは言った。

Tの頭の良さは「ただ勉強ができる」みたいな、わかりやすさではないそれだ。生きることと学ぶことが直結している。まるで勉強ができなかったし、あらゆることを忘れていく私だけど、Tから教えられたことだけは忘れないでいようと思っている。学ぶことは自分の人生の景色を変えることで、感情を忘れないことはいつか誰かに優しくできることだ。

↓最近私が忘れたこと

Text/山本莉会


プレスラボの情報はTwitterで発信しています!